勤勉なHomo Ludensになりたい

有馬記念に寄せて.
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Author

Hidezo Suganuma

Published

December 24, 2023

2023年の下半期は一度も競馬場に足を運ぶことなく終わりそうである.平生なら大晦日の東京2歳優駿牝馬を現地観戦して競馬納めとするところだが,あいにく今年は上京して初めて年末年始に帰省する予定なので,それも叶いそうもない.放蕩息子としては偶に元気な顔を見せるくらいしか孝行の術がないのでこういう機会を無下にするわけにもいかないが,夕映えのスタンドで寒風に身を震わせながら食らうモツ煮(ちょっと多すぎるくらいの七味を加えるのがキモだ)がなんだか恋しい.

去年の大晦日の大井.メインは10番人気の笹川に割られて涙をのんだ

それにしても,これだけ競馬場から足が遠のいたのは初めてのことだ.何らかの釈明を要する場面であれば(生きているとそういうこともあるのだ)いかにも不本意そうな顔を作りながら「いろいろ忙しくて…」と溢せばいいだけの話である.しかし実際のところは,たまに一日中遊べるような日でもまともな服に着替えて電車に乗るのをひたすらに億劫がり,自室でゴロゴロしながら競馬中継を眺めることに満足し続けてきた帰結にほかならない.言うなればこれは怠惰である.

気の利いた世間の人々は「怠惰を求めて勤勉に行き着く」という言葉 (さい & 星野, 1998) を「面倒ごとを回避したければ結局は勤勉に働くことが最良の道である」と解釈し,この陳腐な逆説を半ば教訓めいた形でありがたがっているように見える.それはそれとして「もっと楽をしたい」「嫌なことから逃れたい」と考えることは決して悪いことではなく,何ならそれは人類の技術や文化の発展を基礎づける重要なドライブとさえ言えるだろう.しかし現在の私の状態はかくのごとく礼賛できるものではなく,遊びにすら一生懸命になれないという意味で真に除かねばならぬ怠惰,Homo Ludens (Huizinga, 1955) としての実存を揺るがしかねない病弊である.仮に多くの人々がこの病に罹患しているとすれば,それは現代社会において消費すべき娯楽があふれかえっていることの裏返しではないかと直観するが,果たしてどうだろうか.

いずれにしても来年こそは「怠惰なHomo Ludens」から脱却し,競馬に限らずとも眼の前の事物から最大限の愉悦を引き出せるような一級の「遊び人」を目指して,何事にも精進したいものである.そこにきて今年の有馬記念は絶対王者の引退と枠順の妙により大混戦の様相.ありがたいことに実に面白く予想しがいのあるレースになった.非常に悩ましいところだが,道中イン前からの抜け出しを期待して好枠の◎シャフリヤールから一発を狙いたい.

<2023有馬記念>

  • ◎シャフリヤール
  • ◯ジャスティンパレス
  • ▲スルーセブンシーズ
  • △タイトルホルダー
  • △タスティエーラ
  • △スターズオンアース
  • ☆ライラック

References

Huizinga, J. (1955). Homo ludens: A study of the Play-Element in culture. Beacon Press.
さいふうめい., & 星野泰視. (1998). 哲也-雀聖と呼ばれた男(3). 講談社.