四畳半と天の川

2025日本ダービーに寄せて.
雑記
競馬
日本ダービー
Author

Hidezo Suganuma

Published

June 1, 2025

金曜の夜,自宅に戻った私はひどい倦怠感に襲われていた.3日ぶりに帰った四畳半はひどく雑然としている.床には役目を終えた段ボール箱とペットボトルが散乱して足の踏み場もないし,ほんのり黴臭い布団の上にはうっかり衝動買いした三浦建太郎『ベルセルク』全巻が包装されたまま積み上がっている(申請書の執筆という苦行が課すストレスは清貧の大学院生をかくのごとき浪費家に変貌させてしまうのだ).平生はそこまで部屋を散らかす人間ではないのだが,タスクが溜まると生来の器量の悪さがこうして露呈してしまう.こういうときは時間を掛けて生活を立て直す必要があろう.さしあたって2週間前から手足に生じている汗疱を放置したままなので,来週中には皮膚科に行こう,などと思う.

季節の変わり目に肌が荒れるのは昔からのことで何も意外ではないのだが,保育園の庭で泥団子作りとケイドロに興じていたころから今に至るまで同じ時期に同じ部位が同じように痒くなるので,却って面白い気さえしてくる.いっそ表面以外も昔のままだったら良かったのだが,悲しい哉,劣悪な生活習慣の影響が肉体の各所に如実に現れはじめている.そのなかでも,座り仕事に伴う下半身の慢性的な不快感が近頃の悩みの種である.この前の休日も旧友とともに寄席に繰り出したのだが,前座のあんちゃんからトリの伯山『浜野矩随』まで一日中座り通しで観覧したので,懸念であったところのそれがものの見事に爆発してしまった.今でこそ小康状態といえるくらいに快復してはいるが,いい加減にスタンディングデスクを設えて尻と腰を労るべきかもしれない.

生まれて初めて活弁を生で観て感激したので,次は坂本頼光の独演会に足を運ぼうと思う

背もたれのヒンジがすっかりイカれた使い古しのゲーミングチェアに慎重に腰を下ろし,帰りにスーパーで買ってきた缶ビールを喉の奥に流し込んだ.気づけば時刻はもう25時を過ぎている.そろそろ重たい腰を上げてダービーの予想でも始めねばならない時間帯である.読まずに放置していたギャロップを開くと,以前から思っていたことを我らが井崎御大がしっかりコラムにしてくれていた(産経新聞).皐月賞4着の◎ジョバンニ,同2着で人気の○クロワデュノール(北十字星)の名を聞けば,誰しも想起するのは宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』である.

私がこの作品をはじめて読んだのはちょうど小学校に入るくらいの頃,祖父の家の本棚に置いてあった文庫本を手に取ったときだったと思う.じっさい祖父は岩手県の出身で,おそらく賢治の作品や思想に共鳴するところがあったのだろうと思う.実際のところはよくわからないが,少なくとも私自身は彼の愛読者だ.たぶん小3くらいで初めて自分で書いた小説は9割がた『シグナルとシグナレス』の翻案であったと記憶しているが,そんなものは当然この場で公開するわけにはいかない.

数多くの作品を残した賢治だが,生前に刊行された作品はごく僅かであり,没後に広く作品とその名が知れ渡ったというのは有名な話である.この類の逸話は画家ゴッホの例をはじめ巷間に流布しているが,それらが内包する「いまは周囲から認められなくても後世に評価されることもある(だからめげずに頑張れ)」という教訓めいたメッセージのアクチュアリティは,残念なことに急速に減じているように思われる.大量の情報であふれた現代のネット社会において,優れた才能は速やかに注目を集め,消費され,そして飽きられる.多くの他者からの即時的なフィードバックが当たり前になったせいで,それが得られないことが間違いであるかのように錯覚してしまう.そうやって多くのアイデアの種が捨て去られているのだとすれば,多大なる損失というほかない.

自分は時代の徒花として忘れ去られるような些事に限りある命を費やすなど真っ平だが,とはいえ自分で手を動かして取り組んでいることがそれに該当しないという明確な確信があるわけでもない.世間には科学という方法の体系によって生み出されたものの価値はただちに保証されるのだと素朴に信じている人々も一定数いるようだが,自分はその思想には明確に与しない.最高級の万年筆で綴られたとて駄文が名文にならないのと同じことである.したがってこの宙ぶらりんな状況はおそらく生涯続くのだろう.長く続けていると心が折れることもあるだろうが,少なくとも今の自分は矢でも鉄砲でも飛んでこいという気概である.


眠い目をこすりながら青空文庫で『銀河鉄道の夜』を約10年ぶりに通読したのち,少しずつ白みはじめた窓の外をぼんやりと眺めていた.私に賢治を教えてくれた祖父は昨年夏にくも膜下出血で倒れて長いあいだ生死の境を彷徨っていたのだが,アッパレ奇跡的な回復を果たし,春先に帰ったときも自宅で一緒に酒を酌み交わすくらいには元気を取り戻していた.本当に頭が下がるが,それはそれとして今年の夏もどうにかして地元に帰らねばと思う.旅の終わりはいつも悲しいほど唐突で,不条理なのだから.

<2025日本ダービー>

  • ◎ジョバンニ
  • ◯クロワデュノール
  • ▲マスカレードボール
  • △レディネス
  • △ミュージアムマイル
  • △サトノシャイニング
  • ☆トッピボーン